工房紹介/九谷古青窯 Kutani Kosei-gama
(写真: 小松市東部郊外の陶房)
九谷古青窯 の由来
奈良時代に『加賀国分寺』が、手取川と梯川が合流する所、"舟見ヶ丘・国府(古府)"の地にあった。
時代が流れ "古九谷・若杉窯"等を経て、この地に"小野窯"が出来、名工・「庄三」も若き情熱と絵筆の研究を この地で燃やし、後世にその名を残す事となる。
その由緒ある地名の「国府(古府)」と、"梯川"の「青」から、【古青窯】の名前が生まれ、「松竜・利月」等の名工が 後に巣立って行きました。
《本物の九谷》をモットーに、じっくり腰を据え、土と絵筆と炎を友に、【古青窯】は先き遠きこの道を牛歩しています。
九谷古青窯 主人
(写真: 陶房内 展示場)
陶房主宰:『 二代 古青 』(昭和9年7月生) とは・・
元来 我社は、“絵描き職人”さんを数名抱え込み、九谷焼全般を全国に販売する 《卸業》を主に営んでおりました。
ある日突然、その"主力の職人"さんが脳梗塞で、絵筆を持つことが出来なくなってしまいました。 困った"主人"は、「ならば、自分で絵を描けばいいんだ…!」と、描き始めたのが、その当時の主人…、私の父親(=博)であります。
そのお抱えの"職人"さんの功績を重んじ 【初代】とし称し、父親(=博)は 自身を【二代目】と位置づけ、画号を【二代 古青】と名乗り、"卸商人"から "画工(=絵描き職人)"に 転身した訳です。
《40歳》を超えての、独学(独自の我流)でのスタートでした。
[談]: 九谷古青窯・現主人=息子(泰生)
店主:『 熊野 泰生 』(昭和38年4月生)
製造部 : 【九谷古青窯】 =主人
(販売部 : 【九谷焼 熊野商店】 =代表)
私(=息子/泰生)は、【九谷古青窯】の"主人"として いろいろと業務全般に携わっておりますが、二代古青(=親父さん/博)の後を継いで、"職人"としての 『三代 古青』の道を歩むかは定かではありません。
・・が、ただ言えることは、《作家一代、窯末代》を"理念"の基に、「手作り・手書きの手仕事に こだわった器=九谷焼を作っていかねば…」と思う毎日であります。